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和田真人 お仕事・パソコン履歴
実はパソコン歴30年! 人生の3/4以上はコンピュータに関わっています。 
中学時代

初めてのパソコン
中学1年、友人の影響でパソコンをさわりはじめる。
日曜になると名古屋大須(現在のパソコン街)に出かけパソコンで遊んでいた。SHARP MZ-80KIIEというパソコンを購入し、自分でプログラムやゲームを作っていた。
当時マシン語やBASICをいとも簡単に扱っていたのには、今となっては 感心!(あの頃の柔軟な脳みそがほしい)
でもそのおかげで、パソコンの基礎の基礎が身に付いた。

学生時代
 〜就職

脱パソコン〜就職
中2で剣道部部長に就任。中3はバンド活動に熱中した中学時代。
その後、高校・大学と理系だったが、「パソコン=オタク→アニメ好き?」という時代だったので、そのイメージがイヤで、パソコン からは手を引く。
某機械メーカーに就職。開発部門で制御プログラム開発に従事。パソコンが日常の仕事道具となる。

1995 Windowsに期待
初めてWindows95を目にし、それまでオタクやプログラマーのためのパソコンが、一般や企業で活躍するだろうと確信!
この年末、とある理由で脱サラ。(こんな私です参照)
1996

パソコン業務開始
経営コンサルタント会社に、契約社員として入社。中小企業へのパソコン導入や経営者向け個人レッスンを始める。 この頃まだパソコンは技術者のもので中小企業にでは経営管理にパソコンはほとんど見られなかった。
自分のホームページ作りをきっかけに、インターネットの限りない可能性を感じた。

1997 企業とパソコン
この頃から「企業にとってパソコンはどう役立つか」を念頭に、パソコン導入の薦め、WordやExcel、その他既存のソフト使った簡単な業務管理を提案。
結構簡単なことでも、効果は大きいことが多かった。
1998

企業とインターネット
Windows98
が発売され、名古屋大須のパソコン街に前夜から並んだ。(記念すべき30歳の誕生日と 重なった) このころから、企業でインターネットがどう活用できるか、導入を進めながら模索・実行していった。接続のサービスからホームページ作成・活用提案。
その結果、通販、海外との情報配信で大幅に業績を伸ばしたところもいくつかあり、インターネットの可能性を再確認。
地元プロバイダーとの協力により、ドメインの取得も薦める。(この頃にドメインと取ったお客様はほとんど「社名そのまま.co.jp」が取れました)

1999

社内LAN
中小企業でのパソコン導入の流れが盛んになり、仕事としてもパソコン・インターネット導入が多くなってきた。さらに、社内複数台で情報を共有するネットワークの必要性が出てきた。社内LAN、ルーターによるインターネット共有、ファイルサーバーの構築など、LAN技術を学んだ。

2000

経営戦力ツール
パソコンで経営の管理が普通になり、経営戦略にも重要なツールとなってきた。この頃から会計士、経営コンサルタントなどとの協力作業が多くなってきた。またある経営者の会でIT推進部門として活躍。

2001

経営コンサルタント
経営者の会から、経営コンサルタント会社が発足。取締役としてさらに経営とITを結びつける活動を進める。

2002

オリジナルシステムソフト
この頃から、経営管理をExcelや既存のソフトでは間に合わない部分が出てきて、各社の業種や業態にあった、オリジナルソフトの構築を開始。プログラムは外部の協力業者にお願いしますが、その内容はお客様と一緒に構築していきました。SEのような仕事ですね。

2003

LAN/WAN/VPN
データのやりとりが、社内(同一社屋)だけでなく、支店や社外との連携が必要となってきた。インターネット・メールを利用したり、VPN技術を使って、場所が離れていても同じように仕事ができる環境を構築。

2004

ネットクラフト有限会社
会社は大きくなってきたが、経営コンサルタントがメインとなり、IT部門独立し、「ネットクラフト有限会社」を設立。
中小企業向けの、パソコン・ネットワーク活用&サポートをメインにスタート。


和田真人 個人的な歴史

いつも何かにチャレンジしていないと気が済まない私です。
仕事も夢も、常に次を目指してがんばります!

中学校

バンドブーム先駆け
パソコンにも熱中したが、音楽好きの仲間と集まりバンド結成。中学始まって以来のバンド結成に先生たちも困惑。音楽の先生が理解をしてくれ、毎日音楽室を練習に貸してくれ、文化祭での演奏も実現。楽器の弾けない僕はキーボード担当でパソコン知識を生かしてシンセサイザーに挑戦。

 
高校

剣道一直線
小学校から剣道を続けていたが、高校に入ったら優雅にテニスか、ジャッキーチェン目指して体操部にでも入ろうと思ったら、父が入学祝いに剣道の防具をくれた。必然的に剣道部に入部。
この頃にインディジョーンズやパリ〜ダカールラリーを見て冒険にあこがれる。
友人3人と寝袋一つで電車の旅に出発。出会った人の納屋や廃校の校庭で寝泊まりしたりと、冒険の一歩となる。いろんな人に親切にしてもらい普段にはない体験となった。

 
大学 夢のスタート
バイクで日本一周を始める。1〜2週間程度で各地をツーリング。はじめは大自然に興味を持つが、そのうち出会う人との交流が楽しくなってきた。一人旅で出会う人は夢を持った人が多く、願えば何でもできると感じた。
四国一週、能登北陸、紀伊半島、北海道一周×2、北九州、南九州、信州、伊豆等。
学生生活も多くの仲間、経験、知識を得ることができた充実の4年間であった。
就職
20代
前半
夢の続き
就職しても日本一周の残りがあり、GWやお盆・正月休みを使って各地を回る。東北一周、山陰山陽、信州等、2年後とりあえず全県走破、日本一周完成。延べ日数150日。
その頃友達に誘われオフロードバイクのエンデューロレースを始める。
パリ〜ダカールの夢を思い出し、三菱の報告会に会社を休んで行く。篠塚健次郎さんに「僕もいつかパリダカに出ます」と宣言。「See You Dakar」とサインをもらう。後にダカールで見せるつもりが日本に忘れてしまった。
20代
後半
夢の実現
26歳で結婚。その後パリダカに出場した人と出会う。同じ夢を持った仲間で出ようと言う企画に即参加決意。
ただ会社にも相談したが、夢の実現に理解を示してもらえず、即退社。これが独立のきっかけになる。
準備に1年半、1997年1月パリダカ参戦。しかしレース4日目にしてエンジンが炎上しリタイヤとなる。砂漠に取り残され、そこから自力でダカールに帰還する旅の方が過酷だった。そこで多くの現地の人に助けてもらい、文化もお金も関係ない世界で、人の温かさを実感した。
一時は死を覚悟し、ここでの経験が今の自分を形成している。
30代
前半
次のチャレンジ
大きな夢がとりあえずは実現したが、仕事の方もしっかりしなくてはいけないので、次のパリダカはお預け。仕事は順調にいったが、心には大きな穴が開いていた。
そんなとき、20世紀最後の記念にホノルルマラソンを走ろうと誘われ、即OK!
パリダカ後2年ほど全く運動もしていなかった体は1kmも走れなくなっていた。
何かにチャレンジすると言うことはほんとに気持ちがいい。ホノルルマラソン4時間55分で完走。
30代
中盤

燃焼系
「ホノルルマラソンに出ない?」をきっかけにいきなりホノルルマラソン 出場。その後もマラソンにはまり、いびがわ、掛川、犬山、名古屋シティ、八ヶ岳ウルトラなど、ハーフ、フル、ウルトラマラソンに出場
2年後アドベンチャーレースを知り、元々オフロードが好きだったこともあり、即出場。王滝MTB100km、RUN20km、松川デュアスロンなど 。
さらにトライアスロンに挑戦し、初出場の音吉では 190位/500人 。

30代
後半
過酷系
トレーニングに山を走るうちに、トレイルの楽しさにはまりトレイルマラソンに出始める。
オフロード版トライアスロンのエクステラ出場。
この頃から「過酷なもの」が好きなことに気付く。パリダカも実は過酷さが好きだったのだ。
30才最後にトライアスロンの最高峰アイアンマンジャパンに完走。
(スイム3.8km、バイク180km、ラン42km)
現在、パリダカのリベンジとして、サハラマラソンを目指している。
 
 

 

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